教育会館の歴史

初代教育会館

初代教育会館イメージ写真

初代教育会館は1937年(S12年)7月、「社団法人横浜市教育会館」が県下初の教育会館として建設されました。
教育会は1947年(S22年)の解散に際し、誕生したばかりの「横浜市教職員組合」へ会館の敷地・建物を贈与しました。
以来、横浜での民主教育の推進、教職員の生活と権利確立、勤評、学テ、反戦、平和戦争等の拠点とし重要な役割を果たしてきました。

2代目教育会館

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2代目教育会館は、横浜市が発展する中、組合員も6,000人となったことから、旧会館を取り壊し、1966年(S41年)1月に会館しました。 建設資金をはじめとした多くの困難は、当時の佐野五佐男委員長をはじめとした先輩諸氏のご苦労により解決されました。建物は「六角形」を基本とした会館で、「蜂の巣城とも言われました。
以後、宿日直廃止、人事院勧告、給特法、主任制闘争等の砦として、また、教職員の団結の象徴として歩んできました。建設と同時に「財団法人横浜市教育会館」を設立し、公益事業として会館のホール・会議室を市民・企業・団体に利用していただき、市民に親しまれた会館として発展してきました。

3代目教育会館

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2代目教育会館から30年が経過し、浜教組組合員も12,000余人となり、設立当初の目的達成のため会館自主公益事業も大幅に拡大しました。
また建物・設備の老朽化が顕著になり、教育関係団体に対する施設提供も困難になってきました。そこで、「浜教組結成50周年」を期に新教育会館建設の計画が具体化し、建設資金の一部に浜教組組合基金をあてることを決議、1997年2月福寿弘明理事長を委員長とする会館建設委員会を設立し、「横浜の教育の殿堂」に」ふさわしい会館として1999年2月に竣工しました。

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